みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

3月24(水)昨日、病院へ行ったこと。と、縁について

昨日は、あたたかな陽が射しているのに外に出たら冷たい風が吹いていた。
コートを羽織ってきてよかったと思う。

一週間遅れて、2か月に一度の通院(循環器科)。

団地内、徒歩で行けるのがうれしい。
緊急性病状の時以外は、その間、多少なら具合が悪くなっても、週1回のN先生の診察日まで待つ。そして、まとめて、いろいろな症状に関して話を聞いていただく。肝心の血圧に関しての先生からのご指摘は余り守らない、と言うか、日々の血圧測定がうも苦手。せめて病院に来る1週間前からで良いから計ってくるようにと言われても、この1年、(以前はしていた)いつも、ごめんなさい、が、多かったかも。で、先生を困らせている。これからは、まじめに健康管理に取り組むことした。まずは、痩せること。には、食べ過ぎないこと。お散歩などすること。心身に、負担をかけないこと。最後の心身に負担をかけないこと、一番肝心。
 
いつもしていた我が家の玄関の前と10数段の階段を掃くこと。それが最近とても大変。以前は新聞を取りながら、郵便受けのところまで繋げていたけれど、体調を崩してから、新聞は毎朝Oちゃんが取ってきてくれるので、朝の日課だった掃除は免除。と言っても、Oちゃんは、目が悪いので、階段を下りるのに気をゆるせない。なので階段掃くのは危険が伴う。玄関前と階段のお掃除は強いられない。わたしは下をを向いて掃きながらいるとめまいがしてくる。この頃は、10段分ぐらいの階段掃くのも、あぁ、踏み外さなくって良かったと安堵する。踏み外してけがをしないとやめないのは、埃に負けたことになる。きっと。時々になったけれどやめないだろう・・。注意深く注意深く、時々。塵や埃では死なないよ。といゆうけれど、階段の埃には、菌がいっぱい。ドアを開けるたびに室内に侵入して来るのだと思うと、たまらない。ありがたいのは、数年前から、年に2回ぐらい、業者の方が、5階から一階まで水を流してきれいにしてくれるようになったこと。いつだったか、階段のお掃除していたら、お会いしたことのある方が、書いていたのを思い出す。うちには、お手伝いさんがいたけれど、玄関と階段はお掃除をしたことがない。いつも汚かった。母親もしたことがない。と。言うようなことだった様に思う。 子供のころから、大人になるまで、彼女はずっとそのことに気づいていたのか。と、彼女の書いた本を、恐ろしく思いながら読んだものだ。でも、そのことに、気づかさせてくれたのは、どうやら、汚かった玄関と階段ではなく、その後に出会った家政婦だったのではないかと推測できる。ご飯を炊くのも、お味噌汁をつくるのも、家政婦さんに教えてもらったと言っていたから、そう思う。彼女は、今、どうしているだろうか。ヨガを始めたとか聞いたような気もするけれど、またまた、執筆に勢をだしているのだろう。書き始める時、全然予期しないことなのに、気が付くとこんなことに、迷い込んでいる。

2か月前病院へ行ったとき、検査は、次回来たときにしましょう。と言われていたけれど、そんな気もするけれど、忘れていた。看護師さんに言われて、そういえば、そうだった、と思うものの、「良いですか?」と聞かれて「はい」と答えたけれど、朝食も摂った。それでも、予定通り血液監査と、胸部レントゲンと、心電図、と尿検査を受けた。大ジョブなのだろうか?。尿検査では、散々だった。検査と言われたら、当然、尿検査も必需と思うのが普通なのかもしれない。でも、何も言われていないので、レントゲンを済ませて、トイレで用事を済ませ、待合室の椅子にかけた途端、「尿とってください。」って言われても、「今用事を済ませたばかりです」って言ったら、「そうよね、先に話しておかなかったから、今、カルテを、パソコンに入れておくようになったのだけれど、慣れなくつて、ごめんなさい。」と看護師さんが申し訳なさそうにしていた。また、後で、も面倒なので、「じゃ、あとで、採ります。」と言ったものの、今度は私のミス。検査用トイレに入って、紙コップに、名前書いて、いざ、というだんかいで大失敗。紙コップに、尿を摂るのを忘れて、ほんの少の残尿しか取れないで、「20㏄ぐらいあれば」といゆうことだったけれど、少なすぎて、また時間をおいて、トイレへ。そんな時は思うようにはならない、かろうじて採取した尿と前回の分を合わせてパス。そんな、事情も、看護師さんは笑顔で、「そう、(考える風にしてから)そう、そうなのよね」と非を感じさせない優しさに満ちて言ってくれた。

薬屋さんによって、お使いをしてからの帰り道、公園の入り口近くで、頭上高く鳴く、本物のと思う、鶯の声を聞いた。「ホーホケキョ」。なんだかおかしいけれどそんな風に感じた。帰ってから、たまごをゆでてたまごサンドイッチをつくって昼食。

途端に疲れが出てお昼寝。太るのはお昼寝のせいだろうか。

 

病院のお供は、高橋久美子著旅を栖(すみか)とす。

実は、本屋B&Bイベントで見かけた「高橋久美子」の名前に、あら、っと思い、ポチして、数日後、同姓同名、別の「高橋久美子さん」と分かって、数日後、このイベントはキャンセルしたはずなのに、本が届いたのだ。もちろん、イベントは不参加。翌日、その画像が配信されてきたので、ただ今窮屈な財政ながら、日ごろのわきまえの無さ、優柔不断の反省の意を込め、抵抗する労力、時間も、もったいないのでそのまま受け入れたのだったが、読み始めると、意外に面白い。

青森に住む、詩人、高橋久美子さんには、一度だけお会いしたことがある。詩集もある。時々、詩誌で作品にも読んでいるので、一度お会いしただけより、一方的にもっと近しい様に感じている所以か、これもまた、なにかのご縁なのだろうと思うと「縁」って勝手に思うものなのだと勝手に思っている。

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旅を栖とす・高橋久美子(本屋B&Bイベントにて)

 

いとうせいこう×安田菜津紀「今こそ、世界のリアルな声に耳を澄まそう」 オンラインイベント

昨夜から、春嵐のような風と雨。
ここの桜は、まだ、つぼみのままでなんとなくホッとした思い。

明日、晴れたら3分咲きぐらいになるだろうか。

今は、雨音も風音も聞こえない。

夕食後 7時から、本屋_B&B配信のオンラインイベントに参加した。

いとうせいこう×安田菜津紀「今こそ、世界のリアルな声に耳を澄まそう」 『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』(講談社)刊行を記念してのオンラインイベントだった。

2月はじめごろだったと思う、同じ本屋B&Bのリアルタイム配信イベントとして、白井明大さんとカシワイさんの『いまきみがきみであることを』の刊行記念として著者の沖縄に住む詩人・白井明大さんと、北海道に住む詩人・三角みづ紀さんとのトークイベントに参加したことがあった。2回目。
今回の、いとうせいこう×安田菜津紀「今こそ、世界のリアルな声に耳を澄まそうは、いとうせいこうさんの『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』(講談社)のタイトルに「国境なき医師団」と言う文字を見て、参加を申し込んだのだった。なんとく、わずかながら「国境なき医師団」へ支援し始めたのは、ここに越してきて((竹山団地)まもなくの頃だった。 『ガザ、西岸地区、アンマン」では、貧困によって、小さな子供たちの命が、一日に、多く失わていく。そんなキャッチフレーズに動かされことを記憶している。

いとうせいこうさんの、刊行記念イベントと言うのに、その本はまだ読んでいない。それでも、写真家の安田菜津紀さんも、現地に行ったことがあることから、本の中から引き出された話題が生々しく語り合われて、良く伝わて来た。映像の中に足を撃たれて杖を使う少年(?)が、その杖を笛にして吹いていた。どうして、多くの人が足を撃たれるのか。世界にはこんな理不尽な地、所、のあることを広く伝えるために『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』は刊行されたのだと強く話されていた。

 

 

春嵐の日

後半は、住民と「「国境なき医師団」の信頼関係を築く役割を担って、直接住民の中に入って会話しているという、ヘルスプロモーター・園田亜矢さんのお話を聞いた。貧困や女性の地位の低さ性暴力被害者のことなどを、胸いっぱいに、こみ上げてくるものを、何度も抑えながらのお話は、ビンビン伝わってきた。
民間支援がないと、できない、見えない部分。それを、それぞれが持ち寄って、重ねあい、若い立場で、伝える手段として、ことばで、世界の不平等をに手を差し伸べる活動をしている。のだという風に聞いた。見えない心の傷の治療も欠かせない大変なことなのだ。

世界のとて不公平不平等不条理に怒りをあらわにして話されていた、

いとうせいこう安田菜津紀&園田亜矢さん、お三方のお顔が消えない。

 

 

 

お薬の話と日々折々のこと

胸やけがして、変と思っていたら、今ゲップがでた。その原因は、すぐにわかった。2年ぐらい前、胸やけがして、げっぷが出て仕方がなかったので、循環器科受診の時、N先生に話したら、じゃ胃の検査をしておいた方が良い、と言うことになって、検査していただいた結果は胃がんの心配はないと言われて、げっぷの出ないお薬を飲むようになった。胸やけもげっぷも出なくなっても、ずっと続けていたのだけれど、昨日からそのお薬がなくなって、今日で2日目なのに、今日の夕食後、間もなくしてからなんか胸がじりじりする、と思っていたら、食べたものが喉元まで戻ってきて又戻った感じ。「ネキシウムカプセル」1C、朝服用しはじめて、2~3日後ぐらいに、循環器科の受診日だった。その時、循環器のN先生が、「で、げっぷは?」って聞かれて、「もう大丈夫です」って言ったら、「そんなに良く効くものなんだ」と、おっしゃっていたのを思い出したのだけれど、2日飲まないだけで、すぐ、症状が出るなんて思わなかった。でも、胃やお腹に関するお薬って、なんとなく、そうなんだ、って、思えなくもない。循環器受診の水曜日まで我慢できるか否や・・・。お薬飲まないと不安なので飲み続けていることより、飲まないと、こんななんだと分って、良かったとも思う。
 
春うらら、、畑するのも楽しみもあって健康的でいいのは分っていても、とても無理なからだ。と、いただいた「のらぼう」(からし菜ににた葉もの)とブロッコリーを、いただきながら思う思う思う。

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菜の花畑とわたし。
 
 
 
 
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離婚を決意した経緯など

モノクローム・プロジェクト/ブックレッド詩集㉑

 みやうちふみこ詩集「母の詩(うた)」が刊行されてから5か月が経つ。
実家の庭に、甥が7歳を迎えた記念に植えたという桜の木がある。

今では大木になり 春には 気品のある花を咲かせる。

わたしが、その存在を知ったのは、母が晩年を迎えた頃だった。

満開の花が、花弁となって 春嵐のような風に舞い 

庭一面に吹雪く中に、母は背を向けて立ちながら

「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」と

うたっていたことがあった。

「良く見ておきなさいよ。」とも言っていた。

そらから3年ぐらい経つ2004年3月16に逝った。

母は、望んでいた通りに逝ったのだ。

不思議なぐらい。

 

西行さんの好んでいたのはヤマザクラ。、

ヤマザクラ、わたしも好きだ。

 

「母の詩(うた)」を読んで下さった方から

 *あなたとは誰でしょうか。
*登場する方々のつながりがよく分かりません。

*母上の没後、離婚に至った経緯も不明。

 と言う、明確な感想を頂戴しています。

 早々に、明確なお返事をと思いながら、欠礼のままだ。

 

そんな折、偶然の様に、

17日、朝日新聞朝刊に掲載されていた、詩人、翻訳家のピーター・J・マクミラン氏のコラム「散りゆく桜に母の死を重ねて」に出合った。読み終えて、この場に、わたしの離婚決意に至るまでの経緯等、明確に記して置く必要を感じ記して置くことにしました。

*離婚の原因は、夫のDV。

母亡き後、離婚を決意するまでのことについて。

*兄亡き後、そして母亡き後、だんだんDVがエスカレート身に危険を感じ始めたから。

DVの本当の恐怖は、聞こえない見えない、なんとなく、なんだか分からない、気配を感じて、そのあとに必ず、「聞こえる、見える」事態が存在するのです。

 それほどの恐怖、不安は、体験したものにしか理解できないことかも知れない。と言う

のも、次女が小学生の高学年ごろから父親とテレビのチャンネル争いや、宿題などで分

からないと大きな声で問い返されていたことなどが日常化していた。そんな時に、

3女が入院。私がかかりきりになって。そのころ、長女は大学生で、家を離れていた

りして、次女と父親との暮らしが3か月ほど続いて。その間、それまで家事の手伝

いなどほとんどしたことのなかった次女が、驚くほどしっかりと家事をしてくれたらし

い。父親のワイシャツにアイロンまで当てたりして。高校2年生の大事な時で、中間テストも、修学旅行の準備も、手をかけなかった。

高校生なのだから、自分の事は自分でできるだろうと単純に考えていのだ。それなの

に、自ら、母親のしていた家事を担って、そこでまた、父親とのトラブルがおきたりし

て。そんなことも、本人たちは何も言わないで、隣の方から聞かされて知った。その時の恐怖から、次女はいまも抜けきれないでいるように見える。それまでは、二人の間に チカチカしたものを感じると、2階のベッドで眠っていても、階下にいる二人の気配を感じて、ぱっと起きて階段を駆け下り、私は身体全体で次女に覆いかぶさり、身体の痛さはほとんどかぶってきたと自負していた。自負、とはよく言ったものです。そこに、生じる重なる心の傷の深さには、思いも及ばなかった。兄や母は、たまたま実家に帰った時に、私の腕の打ち身を見つけて、次女に、お母さんあれどうしたの?って聞いたらしい。で、次女が、本当のことを話したので、母や兄義姉は、ずっと前から心配してくれていたのは、気が付いていた。離婚を決意した時、「どうしてもっと早くしてくれなかったの」と言う、次女の一言に、やっと 彼女も又被害者だったのだと、気づいたのです。言われた時は、本当に驚きました。

DVを、何とか上手に乗り切りたいと、婦人相談所などに相談しても、その頃は(今も?)DVは離婚しかない、とはっきり断言してくれても、受け皿はお小皿、ないに等しかった。なお、18歳以上の子供と一緒だと話すと、一時的避難場所でさえ、訳を聞くでもなく電話を切られた。姉二人は、非は私にあると言う言い方をしたり、さげすむような態度も見てしまったり、母と兄とでは、とても違っていた。また、腹の立ったのは、そんな姉達の甘さを充分知りつくして、軽蔑すらしてみている夫の態度に、もう、離婚には、一人で、公の場にすがるしか方法は見いだせないことを思い知ったのだった。

訳を聞いてもらって、住居の申し込みをお願いしたいと思っても、市営住宅窓口では、みな平等です。との、応対で、抽選を繰り返すこと7回。それほどまでしても入居できないものなのだろうか。今、私にできることは、私の離婚の場合をここに綴ることしかないのだけれど、これでも、勇気を出して書いてきた事柄だ。

 

最後に

登場する方々のつながりがよく分かりません。との

お答えには、主に出てくる名まえに関して簡単に記しておきます。

愛子=義姉

美子=上の姉

智子=下の姉

恒雄=義兄=智子さんの夫

あなた=わたし=文子=ふみこ

高志=実家の甥

由紀子=高志の奥さん

 昭一さん=母の実家の従兄

静江さん=昭一さんの姉さん

花子さん=昭一さんの娘さん

 田沢さん=義姉の上の弟さん

 

聡=美子さんの上の息子

学=美子さんの下の息子

 

真由美=智子さんの娘

正憲=真由美さんの夫

遥さん=正憲、真由美さんの娘

 

和広=智子さんの恒雄さんの息子

はるみさん=和広君の奥さん。

     

 

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2021.3.17,

朝日新聞朝刊


       

 

 

 

 

 

 

母の命日&歯科眼科検診、鶯の鳴くのを聞いた日。

今日3月16日は母の命日。朝早く桜の枝にヒヨが来ていた。
あの日の様に、晴れ、ごご風が出てきたのも同じ空模様。

3か月ごとの、歯の検診日。
9時30分の予約なので、9時のバスに乗ろうと、バス停に向かって行くとウグイスの鳴くのが聞こえてきた。今年、初。鳴く声のする方に目をやると、公園の木々の間、高いところで鳴いている風だった。紅梅が満開でも、まだかたい蕾だった拳が、満開で空を仰いでいた。自然は、一日一日変わっている。人間もまた同じかもしれない。
歯の検診では、いつもの様に注意を受けていたところの歯石はきれいで、今回は奥歯の奥の所の磨き方を指導していただいた。
気をつけて磨いていたところだっただけに、どうして?と言う気持ちだったけれど、プロの目は鋭い。確かに、その部分は歯ブラシでは、難所、歯間ブラシを上手に使いこなす技に繋がることを学んだ。若い歯科衛生士さんは伝えたいことを一生懸命伝えてくれる。ありがとう。最後に、先生の検診。3か月後を予約。歯ブラシ、歯間ブラシ、コンコールFを購入。歯科終了後、眼科へ。診察後、目の疲れをとる薬を出していただいた。

帰宅してから、満開の拳を撮りに行ったのだけれど、その時は、ウグイスの声は無くて、今朝のことが、まるで嘘の事の様に思われた。今朝、咲いているのに、全然気が付かなかった、枝垂れ桜。その場所は、鶯の鳴くのに気を取れれていたからだと、可笑しくなった。4人5人で下校途中の、男子中学生に出会った。皆、同じように、これからまた出かけるようにも見えたので、「これから、どこに行くの」って言ったら、「どこえも、帰ってきたんだけれど、、」「あら、早いのね」「今は、いろいろあって、、(コロナの事だろうか)」と、何人かでわいわい言っていた。きっと、一緒に家の近くって帰ってきたけれど、そのままサヨナラして、それぞれの家に帰るのを惜しんでいるかのようだった。まだ、幼さの残る中学生、楽しそうだった。

今日は母の17回目の命日。

 

みやうふみこ詩集「母の詩(うた)」より、(母、看取りの日)

2004年3月16日(火)

1時20分、巡看。点滴のことで話す。

4時20分、巡看。尿なし。

5時00分、巡看。90~52。吸引。

8時30分、巡看。88~50。・・美子帰る。智子・・・

主治医回診。病院にいるからには何もしないわけにはいかないから、急にやめられない薬もあるので、今日は様子を見ましょう。血圧も落ちていますので、あと一両日と言ったところでしょうか。・・・・美子さん、愛子さんに、先生の話を伝える。・・智子。

11時30分、巡看。血圧80。

11時45分、巡看。酸素量2リットルから5リットルにあげる。・・・美子さんに看取られ、合掌・・・。この日で、母と美子さんの葛藤、戦いも終わった。最後まで「家で」と望んでいた母を、病院に運んだ姉を、母は叱咤したらしい。でも、美子さんの選んだ母の看取りの仕方は、正しかっのかもしれない。

*智子さんは先生のお話を、美子さん、愛子さんに伝えたえ、美子さんと交代帰宅したのだとは、後で聞いたはなし。

 

知らせを受け、病院へ。

病室に行ったら空っぽだった。

すぐ、お義兄さんんの車で、智子さんに抱かれ、

お家にかえれた母。

大切な時、いつも離れて見ているだけの

あなたは一体何者なのだろう。

 

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今朝早く、すぐそこにきていたヒヨ。

 

ふきのとうの佃煮と「母の(うた)」より3月15日分転載。

快晴。グラニュウー糖が必要になって、午前中お使いに行ったら、お店に入ってすぐのところに秋田産のフキノトウがあった。これまで見た、ふきのとうとは違って、なんとなく無造作にパックに入っているように感じたのだが、迷うことなく籠に入れた。帰って、開けてみると、ふきのとうとして売られていたいままでのふきのとうとはまるで違う大きさで、天ぷらにするのにも躊躇するような、まん丸く太ったもう直ぐ白い花が咲きそうなふきのとうだった。とりあえずよく洗って、調理方法を考えながらいたら、夕方になってしまった。急いでネットで調理法を探して、一番手間も時間もかからない佃煮にした。Oちゃん曰く、「ふきの茎を煮た味に似ていて美味しいよ。ちょっと苦くって春の味。」と言ってくれたので、食べてみたら、なるほど、キャラぶきより、やわらかくって、食べやすかった。「でもどうしてキャラぶきって言ううの?」の質問には、まだ未回答。キャラぶきの「キャラって、どうしてキャラなの?」考えたこともなかった。あと鹿児島産の天然真鯛、これも、きょうのお買い物では当りだった。こんな風に、お風呂上り眠くなって仕方がないほどの疲れだけを残してなんとなく今日一日が過ぎた。
あとは、義姉に電話したことぐらい。
本当のことを言うと、今日が母の命日と勘違いしてのことなのだけれど、前日でよかっつた。書き終えるころには、日付も変わりそうだけれど、昨日の続き、3月15日のことを、みやうちふみこ詩集「母の詩(うた)」よりここへ転載します。
 
2004年
3月15日(月)
1時10分、巡看。検査尿取れず。
4時ごろまで時静かに眠っていた。尿ナシ。
5時、少しせき込み。あぁ~あぁ~、苦しそう。
5時40分、ナースコール。吸引、タンが固まりかけていた。
苦しそうだったら看護師さんを呼ぶこと。
6時40分、採血。30分後に再採血。
手と足がむくんでいる。愛子さんと二人でマッサージしていたら、すやすやおやすみ。
7時20分、再々採血。
8時30分、点滴はじめ。抗生物質追加、尿ナシ。
8時40分、主治医回診。先生の呼びかけにも反応しない。点滴一本に。心臓弁膜症があるので様子を見ましょう。イチゴ果汁スプー2つ、もういらない。と言っているみたい・・・。
「帰るね!」そう言いながら母の手をそっと握った。かすかに指が動いた。
「いつまでいいるの!もう帰りなさい。」そう言っているように聞こえます。あとよろしく。文子。
あの日、あなたはそう記して帰路についた。愛子さんに土浦駅まで送ってもらう。
美子、智子・・・
9時、下清拭。
9時30分、巡看。点滴は今日で終わりに予定です。
10時30分、巡看。11時20分、田沢さんお見舞いに。
11時30分、口内清拭、お断りする。
12時30分、昼食、眠ったままなのでそのままに。看護師さんに助言求めて。尿ナシ。
15時、抗生物質、パッチテスト、2種の検査。
15時30分、お小水なし。体位変える。
16時10分、タン吸引あまりなし。
16時40分、主治医回診。心不全でしょう。
17時、巡看。血圧108~64。97%。吸引、吸入。
20時、おむつ替え、体位をかえてくださる。
21時、巡看。血圧98~。モニター入れ、点滴終わり。
0時、血圧96~。酸素量、手が冷たくて測定不能。尿なし。・・美子、愛子。

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3月15日、朝の空。東京では昨日開花宣言
 
 
 
 
 

早朝のことと「母の詩(うた)」より(3月14日)

早朝の読書に再度目覚め気がつくと8時過ぎ。
こんな至福の時間が持てるのも、Oちゃんの休日はだから。だから、二人で、前の夜、おやすみなさいを言いながら、わくわくしている。いつもは6時前には起きるから、彼女は2時間寝坊出来る。だからからわくわくなのだ。

昨日の春雷と雨は嘘のように、快晴。

朝食はトーストに昨日作った八朔ママーレードとフルーツと野菜のサラダとゆで卵とコーヒー。Oちゃんの出勤の日は、起きるのは一緒でも、二人の朝食も時間も違う。結露を拭きなながら、鶯の声を聞きたいと窓を開けたのでけれど、冷たい風が吹いてきただけだった。今年の今日3月14日も日曜日。

 

「母の詩(うた)」から、昨日の続きを。

3月14日(日)K町町議会選挙の日

1時15分、巡看。(あなた)みちさんと呼ぶとかをを向けてくれた。足をさすると指を動かした。2時50分、巡看。安定している。

4時30分、巡看。吸引(はは)痛い。反応あり。

6時05分。真っ赤な大きな太陽が見えた。ははの気にしていた町議会議員選挙棄権。

 (文字が書けなくなってしまったとまで嘆いていたけど、一体、誰に投票した
  かったのだろと、今日、今、思いながら書いている。)

7時50分、愛子さん投票のため帰宅。あなたと、美子さん・・・、

9時25分、主治医回診。苦痛がないのでこのまま様子を見ましょう。智子さんからのメ      

ロン、果汁だけ30CCぐらい美味しそうに飲む。10時、愛子さん戻る。

12時、静かに眠っている。美子さん帰る。あなたと愛子さん・・・、

14時30分、おむつ替え。15時、巡看。お小水なし。・・・文子記。

16時20分、高志、由紀子さんお見舞に。(二人が)呼びかけると大きく目を開けた。

メロン果汁少し飲む。17時20分、高志、由紀子さん帰る・・・愛子記。

甥)帰るよ。(声をかけるとかすかに唇が動いた。)気をつけて帰りな。って言っているよ。(孫の勝手な解釈。でも本当かとも思う。文子)

18時、吸引。「痛いよ痛いよ」。とはは。左胸に空気が通りにくくなっている。

首を左右に動かしている。苦しいからだろうか。

1時40分、巡看。手足にむくみ。24時20分、オムツ替え。酸素97。・・文子記。

また、明日があります。・・・。

東京では、開花したらしい。

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今朝の空