kayoの誕生日に思う
4月13日、今日はkayoのお誕生日だ。
今は バラバラの親子姉妹も この日だけはそれぞれがそれぞれの
場所で必ず思い出す日でもあるはず。昨日は、古いアルバムを開い
てみた。今から28年前、小学校5年生の夏休みのころのものなの
だけれど、手に包帯を巻いている。公園で遊んでいてバランスを崩
し手首をねんざした時の写真。その日から、病気がみつかり入院す
るまで1ヶ月もあっただろうか。バランスを崩してねんざしたのは
、、病魔のせい。振り返れば、5年生になって直ぐのスポーツテス
トでも、ボールが受けられないのと言っていた。それから間もなく
ドッチボールのボールを受け損なって、、ボールがメガネに当たっ
て頬にけが。遠近感覚が損なわれはじめていたのだ。スイミング教
室では、なぜかまっすぐ泳いでは来なかった。そのころ、小児がん
に関しての知識と言えば、食事の嗜好が変わると言うことぐらいし
か知らなかった。ウインナーソーセージとか、、嫌いになるんだっ
て。たしかに、、好きだったウインナソーセージや、トリの唐揚げ
などいらないといったこともあった。そのとき、、「あらっ、、」
とは思ったけれど、、こんなに元気な子が、、と一瞬よぎった不安
をかき消したあの時のことは忘れられない。其れも、、脳に出来る
がんなんて、、無知だった。
もう5年生の夏休みもおわりごろだった。ブラスバンドの練習から
帰ってきて、、今日学校に行く途中(頭の後ろを手で押さえながら)
この辺がすごく痛かったの、と聞いた時も、、お帽子かぶらないで
行ったからよ。とかるく受け止めていた。おでこのへんの痛みも、、
そのころ頻繁に訴えていたのだけれど、、眼科医では視神経の使い
すぎとの診断で痛めど目をいただいていた。でも2~3日で回復。
結局そんなことを繰り返しているうち、、新学期が始まって間も
なく、、異変を訴えたのだ。道路で車とすれ違うとき、、なんかへ
んなの、、。その後の決定的な言葉は「ママが二人に見えるの。」
心臓が飛び出しそうとは、あのときのことだ。それでも、まだその
段階では、、まさか悪性脳腫瘍、などと大それたことなど思っても
見なかった。大学病院での検査の結果、、即入院。病名を聞いても
まだ、、大変なこととは感じても、、「命にかかわる」、そこまで
はとうてい考えも及ばなかったほど、、。
我が子は、、元気に、、大きくなって、幸せになる。そう信じて
疑うことなどなかった其れまでの暮らしは、、一変、二変。3変
だってあるかも知れない、と、今だからこそ言える。願わくば良い
方向へ、、一変。 一変。 一変。と思う。もしかして、、
わたしたちの場合、、苦しんだり悩んだりしながらも、、結果とし
て、、案外良い方向へ一変、2変3変しながら今があるのかも知れな
いとも思う。
満満開のさくらの枝が吹く風に揺れるさまは赤ちゃんのねむる
ゆりかごににている。