みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

2017年5月13日(土曜日)の夢ごと

2017年5月13日(土曜日)、この日、わたしは長女kumiと同じ空気の中で朝を迎えた。何年ぶりだろう。熊本で迎えた彼女たちの結婚式の朝以来のことだから14年ぶり。その年は5月11日が母の日だった。今年は5月14日の日曜日が母の日。その前の日だから母の日の前夜祭と言うことになる。今回は浜松のホテル。次姉夫妻、姪夫妻と愛娘の遙さんも一緒だった。早朝カーテンを開けて見えた風景はなんとなく雨模様。わたしたちは約束の7時30分より少し早めに食堂で朝食のバイキング。ほぼ終える頃 次姉夫妻姪夫妻と遙さんたちが集い挨拶をかわし、、それぞれが淡々と食事をはじた。ロビーに9時集合の約束をし 先に食事を終えたわたしたちは部屋に戻り一休みしてから もくもくと洋の喪服に着替えはじめた。パールのイヤリングとネックレスをつけて完了。黒いヒールと黒のバックと着替えの荷物を持って少し早めにロビーに行くと、今度は次姉達姪達はすでに集合、タクシーを待つばかりだった。雨脚は見えても、さほどの降りではなかった。タクシーにのり 淡々と行く先を告げるのは義兄ではなく他の面々が わいわいがやがやと。市内なら少し離れた所でも行く先を告げるだけで運んでいただけるかと思いきや、その都度安易ではなかった。普通は余り行かないところなのでそれが当たり前なのかも知れないと納得もする。着いたところは甥kの告別式場。前の日、前夜祭を営んだところとおなじところだ。

甥kの奥さんは長身でスマート、和の喪服がよく似合っていた。その姿を見て、彼女の父上は目を潤わせ、そこに亡き妻の姿を見たようだと、そんなことをおっしゃってしんみりなさっていたご様子が良くある話しかも知れないけれど印象的だった。昨日まであんなにしっかりと彼女を支えていてくださったお父様の表情とは大違い。それは奥さんを亡くされた時の悲しみと、夫に先だたれた愛娘の悲しみとが連動しておきた美しい現象のようにも見えた。某自動車メーカーに勤務、ドイツ、カンボジアベトナムに駐在。日本にいるときは海外への出張も多かったらしいので、甥Kを悼む海外からの弔電も多く寄せられていた。51才。その詩を悼む無念さを、彼の棺と向き合うたびになんども唇をかみしめ涙をこらえる同僚のかた方達と思えるお姿には、おかしなことだけれど たびたび涙を誘われた。そんなことからも君はみんなから愛されていたのだとも察しがつく。ご両親に挟まれるようにしてまだ小学生らしき姉妹が手を合わせてくれているている姿を見たとき、3匹の子猫をだいた遺影の君のあの穏やかな笑みがやっとわたしの中で解けあった。ドイツで出会ったと言う姉妹家族は今は、名古屋在住と言っていたから遠路来てくださったのだ。君もどんなにか喜んだことだろう。

出棺を迎えたころは、君のあらたな復帰をたたえるかのように雨脚が早まり町の景色も川の流れも植えられたばかりの早苗までもが頭をたれ車窓から見る景色はみな涙色に見えた。あんなに長々と横たわっていた君は、2時間余りのあいだに30センチか35センチ四方ぐらいの真っ白い豪華そうな布に覆われた箱に入って焼き場をあとにした。その時は、あんなに激しく降っていた雨がやんで、水滴を含んだ木々の若葉が香りをそえ周りを取り囲み 君の新たな復帰を祝ってくれているようにも思えた。、、リハビリをして 行って見たいと言っていた紅葉の頃の高尾山。無理だったら、、若葉の頃にと楽しみにしていたのはほんとう。なのに一人でさっと若葉の高尾山が一目で見渡せるところに行ってしまった君。これからはいつでも自由に大空を飛んで世界中を見渡すことができるんだよね。これから君にしか出来ない新たな挑戦に期待しよう。

マンションのあの部屋に戻った君は、前よりももっとその存在感を発揮して威張っているようにも見えた。その時、さすが奥さんに”夫は尊敬出来ひとでした”と語らせるだけの裁量を垣間見た思いがする。正直に言えば、そこにいるのが君なのだと、その日とその前の前夜祭さえ、いまでもまだ夢の続きを見ていると言った方が正しい。証拠に、帰宅した夜からきのう一日と昨夜のほとんどの時間をうつらうつらと考える力も思う力も見る力さえ消耗し尽くし その姿はゼンマイの切れた人間にみたいなのだ。まだまだしばらくは続くだろうこのうつらうつら、、。うつらうつらの中からどんな詩が生まれるか気ままに詩と戯れる日々しかない。