みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

野川と私 岡島弘子の 詩集が届いた

もうずっと前に注文した詩集が今日やっと届いた。それはたしかずつと前よりもずつと前探したときは、もう出版されていませんと記載がされれていたのであきらめていた詩集なのだけれど、他の詩集を探していてひょっこり出会ったのがこの詩集「野川 岡島弘子」。届く少し前、詩と思想3月号の名詩集発掘(中本道代)・岡崎弘子詩集「いちにち」を読んでいた。なので「野川」を読みおえたときはそれらが一つになってわたしの中にいた。こんな現象を1+1=1と言うことなのだと素直に納得も出来た。あ、この1+1=1に関してのことは、「野川 岡島弘子」詩集に別刷りで添えられていたエッセイ(詩?)「野川と私」に書かれている言葉なのだけれど、ずっと前 秋亜綺羅さんの詩にわたしの写真をコラボ(作曲/歌・藤川みちる・編集/柏木美奈子)させていただいた作品の詩のタイトルは「1+1は・・・」だった、、。あの時の写真は、桜木町から観覧車を入れてみなとみらいの風景を写した土砂降りの中ので撮った風景。今のわたしはもうあんな写真は撮れないと思う。あのときのネガも切り刻んでないはずだ。

脱線してしまったけれど「野川 岡島弘子」を読んでいると、なぜか、わたしへのラブレターのような気がしてくる。まだ、お会いしたことはない。それなのにとても親近感を抱くのはなぜだろう。「・・私は脱走中なのだ、これからも」と書く彼女と、ほどんどの日を、家の中で過ごしていながら気持ちの中ではいつも脱走の試みをくりかえしているわたし。若い頃勤めていた職場の寮から同室の後輩二人と脱出をしたと言う彼女の話し。よほどのことが無ければ実行できないことだと思う。わたしも60代半ば近くに3女と二人で住居だったマンションの10階から脱出した。といっても飛び降りたのではなく、エレベーターで、それも、その部屋の主が開けてくれたドアから身につけられるだけの洋服を身につけ猫一匹と両手に持てるだけの荷物を持って堂々と脱出したのだった。ほんのお遊び、ととらえていたのだと思う。あれから12年、別れて今年4月27日で10年が過ぎた。あのとき脱出したあの部屋も、半分崩壊することもなくすべてめでたく住人のものとなりました。とさ。こんな場合も1+1=1と言うのだろうか?