みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

眼瞼下垂手術

8日午後2時過ぎ手術開始、途中麻酔が切れたらしく、、
ちくちくと痛い。「痛いときは言ってください」とは
言われていたけれどそうそう簡単に「痛いです」とは
言えない。「このぐらいの痛さは痛くない痛さなのかな」
などと思ったりしてがまんしていたら先生から「痛い?」
と聞いて下さったのですかさず「痛いです」と言ったら
「麻酔切れるのはやいなぁ・・もう少し効いていているは
ずなのに」とおっしゃる。それでもなおチクチクが続いて
から「もう少し麻酔しようか」と今度はチクリとチクリと
2カ所。瞼切除の時は最初の麻酔の時以外痛さなんか感じな
かったのに・・。
けれど今回の手術では、その間っずっと先生のヒュヒュヒュ
という正確な呼吸が聞えた。1時間余りかかっただろうか、
そのあと、別室で患部を30分冷やし続けてから、タクシーで
数分の所にあるTホテルに一泊。体を休めながら患部を翌日
受診寸前まで冷やし続けた。付き添ってくれたかよは、
うきうき旅行気分だったらしいのに期待はずれ、真夜中も
一階の製氷機まで何回も往復してくれた。前回の付き添って
くれたのは長女だったのだけれど、、長女にしたら、野暮用
と自ら吐くがごとし、「ちょっと知り合いのお店に行ってく
るね」と一人残してよなよな出かけたりして、少しの時間も
使い切るたくましさ。いつどこでそんな技を学んだのだろうか。
・・子育て時代は想像もつかないその機敏さたくましさ。
喜ぶべきなのかも知れないけれどただただ隔たりだけを感じ
るおかしさ。あの子たちの高校入試の頃はレモンのスライス
よりももっとうすい偏差値とやらに振り回されてみながその
偏差値を知るために学習塾に通っていた。その偏差値を知る
ために学習塾に無理に入塾させた記憶がよみがえる。そんな
ある日、理由は多分塾を休んだときだったと思う「だったら
塾の月謝返しなさい」と言ったら、本当に月謝袋を返しながら
「もう塾行かない」と宣言強行したのは中学3年の夏休み前頃
だったろうか2学期が始まってからだったろうか。いまの姿は
この頃から芽生えはじめていたのだと今になって思う。幼稚園
の頃から彼女から繋がっているものと言えばエレクトーンでス
タートした音楽だろうか。大学卒業した春、ブラジル旅行を許
したことが、彼女の一生を左右することになるとは予想外。
全てわたしの蒔いた種なのかもしれない。その発芽具合はいかに
実を結ぶのはまだ先のようだ。
手術前の昼食は
わさびそばとあま王のアイスクリーム。満足・・。