みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

母とは、そんなに厳しいものなのか?

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みやうちふみこ詩集「母の詩(うた)」に寄せられたお手紙の中から・・・

母に呼ばれたような気がして、目を覚まし、ぼ~っとしながらも 正常さは維持しされているようだ。「今日から4日間はkayoちゃんのも会社も、お休みなのに、もっとゆ
 っくり休んでいたらいいのに」と言いながら、急いでキッチンに行ったら、誰もいなくって、kayoちゃんの部屋にはkayoちゃんしかいなくって、あ、夢だったんだと気が付いた。それにしても、とてもリアルな夢。以前は、よく、近くに母がいるような気配を感じていて、不思議に思うほどだったけど、今朝は、本当にお久しぶり。

もしかして、昨日、鹿又さんから頂いた、「母の詩(うた)」の読後感に、呼ばれて、あらわれたのかも知れない、と思ったり。昨年の暮れのごろ(?)、長崎県の岡耕秋様からお送りいただいた「千年樹」の中に挟まって、「母の詩(うた)」を、読んでくださったこと、と、ご丁寧な感想をお寄せしていただいていたのですが、その中に、不明な点がいくつか具体的に記してくださっていて。ずっと、そのことが、心の中にあって、でも、その部分は、意識して避けたところでもあるので、どうすべきだったのか 詩に、正解はない、とも思いながらも、ずつと心の中にありました。

鹿又さんも、お手紙の中で、(最初の部分だけ抜粋、記させていただきます、ね)

「ドキュメンタリーラストの詩で臨床感がありました。お母様の記録を詩に昇華されるのは大変なことだったと思います。少しわかりにくいところもあったのですが勢いがあり読みすすんでいきました。・・・・」と書いてくださっているのを読みながら、鹿又さんの、仰る、「少しわかりにくいところ」と、岡耕秋様の不明だとおっしゃる部分が重なるように思えてきて、頭の中がぐるぐるしたまま、明け方になって、眠りについたから、母が、そこにいる夢を見たのかもしれないな、と思いながら、いるのですが

、詩に、正解はない。あるいは、想像する部分を残しておく。引き算です。等々

学んでも、引いても良い部分とか想像してほしい部分とかがちぐはぐでは詩人失格なわけで。うつらうのい一日の始まりを迎えたのですが、それでも、こうして書くことで、

持ち直し、これからの課題として、考えていこうと思えるようになりました。

つぶれたようような声で、カラスが鳴くのが聞こえてきます。

あんな声で鳴く時って、どんな時なのでしょうね。