みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

思いで・麦踏み

昨日3月8日は「国際女性デー」の日だった。とは、今朝、知った。
昨日の朝日新聞朝刊を、今朝読んだのだ。大竹しのぶさんの「まぁいいかぁ」ではないけれど、一日遅れでも、読み落とすよりまだいい、ので「まあいいかぁ」って言葉がすーっとでできたのだと思う。一人で笑ってしまった。朝、新聞を広げるると、なんとなくなのだけれど「天声人語」を読んで次に、「折々のことば」へと読みすすむ。今、その、折々のことばの筆者(鷲田清一氏)が静養のため休筆中。そのスペースは大体広告などで埋められている。昨日、3月8日が「国際女性デー」。であるこを知ったのもそのスペースでだった。
それで思い出したのだが 私の中学生のころ、母から、何らかの形で関わっていたらしい、「市川房江」「山高しげり」の名を聞いた記憶が蘇ってきた。母の形見の手鏡にも、西湖婦人会創立20周年記念、そのころの地元国会議員・橋本登美三郎の名が消えないではっきり残っている。調べてみたら「39年佐藤内閣の官房長官に就任」とあった。それからだんだん世の中が変わってきて、ピーナツ事件の頃は私の記憶も確かである。 母の、世の中とのかかわりは、丁度その前の頃がピークだったのだとうと振り返って、認識した。伊藤浩子さんおすすめの、「物語の近代」なんて本、母にも、読ませてあげたかったと、無性に思っている。

と、いゆうわけで、今日は、詩誌・モノクローム創刊号に掲載させていただいた母との思い出の「麦踏み」の詩を、ここに記して置くことにしました。

 


麦踏み

  みやうちふみこ


この畑で麦踏みしたことあったね。 それは早春。
麦笛吹いたこともあったね。 それは初夏。

 

母と兄がいつもそばにいたから小学生のころだった。

 

青々とまっすぐに出そろった 麦の芽 
母は両手を後ろにくんで 辺りが紫色に染まるころまで
行ったり来たりして 麦を踏む

兄もわたしも 踏む踏むするけれど 母には
追いつけなかった 麦踏み。

 

隣の畝には むっくり土をもたげたジャガイモの芽
宙 仰いでいたね。

 

     2018年3月19日

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「詩・麦踏み」の掲載された詩誌・モノクローム創刊号