みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

ことば

 需水さん(本名・山之内勉)南日本文学賞受賞おめでとうございます。

山之内勉さんの詩と出会ったのは 、2018年南日本文学賞受賞候補作品に選ばれたの「花筏」と言う作品でした。わたしは、その詩を読んで、そこに紡がれている言葉に触れた時、なぜか、20数年前に自死した兄のことを思い出していました。そして、「言葉」と言う詩を書きました。その詩は、2019年発行「詩誌・モノクローム2号」(2019年5月発行)に掲載していただました。なので「花筏」の著者・山之内勉・ぺンネーム需水さんの、作品が、今回南日本文学賞受賞との報に、なんだか自分の事のように興奮しています。
ここに「詩誌・モノクローム2号・モノクローム・プロジェクト」に掲載していただいた「言葉」を記しておきます。

=======================================

       

         「 言葉」           

                     みやうちふみこ

   

そう言えば、そろそろ沈丁花の香ってくる 頃だと 思った。向日葵も どこにいても出会える花だと 思っていた。大輪の菊も 朝顔もそうだ。そうではないと教えられたのは 横浜で暮すようになってから。 記憶にある実家の庭には 雨戸をあけると 直ぐの所に 梅の木があった。回りには、丸く刈り込んだ躑躅や柘植 竹とんぼのような種を付ける赤枝垂れ葉紅のそばに 白く咲く沈丁花が いつも青々葉を茂らせていた。実家を離れてからも、いくどとなく沈丁花の香りに足を止め 母を思い出したものだ。 

花や花の香りで 母を思い出すことが めっきり減った。代わりに「言葉」が いろいろなことを 思いださせ 想像させてくれるようになったような気がする。

最近、「2018年南日本文学賞 (南日本新聞社主催)」候補作品をネットで読んだ。その中の一偏「「花筏( 山之内勉著)」という詩。そこに紡がれている「言葉」にふれ ふっと わたしは 二十年前自死した兄を思い出していた。詩 「花筏山之内勉・著)」は、人生を仕舞いまで生きて、最期に辿り着いた 著者の おばあさまの死を詩っている詩。その詩( うた)に出てくる「言葉」の中に、わたしは、兄の あの時の顔を重ねて見ている「あなた」に気づいたのだ。 自死直後に及んでも「電話」があったのだとは、義姉から聞いたこと。「もう、電話にも出られないんです」。そう応え 受話器を置いたのだと。その二週間前 「警察にも話してあるから」と 兄から聞いた。そのとき 聞いた「言葉」が この二十年の間 わたしを苦しめていた。

兄の人生は途中だった。でも 兄の決めた兄の人生の仕舞。仕舞い方だったのではないのか。一夜明けて はじめて会った 兄の死顔は穏やかだった。顔の半分が 白い包帯に被われていたけれど、その顔は 恫喝から解放された ほっとした表情に見えてくる。甥には、あの時、そんな父親の死顔を、だれかれに会わせたくない思いが 無意識に生まれたのだと思う。 駆けつけた 従兄弟にも拒否したのだ。

あなたにむけても 何度も S O S を発していた。その仕舞い方は なんら応えることのない無力からも解放され 勿論 回りのことも見極め選んだ 兄の たった一度のわがまま。そんな風に思うのは浅はかだろうか。そう思うことで 今、わたしの気持は 穏やかさを感じはじめている。最強の罪と罰は 喜んで受けよう。「テレビに映る 歌っている加山雄三に似ていた」と言ったら おこがまし過ぎるだろうか。

 

千葉県野田市の小学4年生、栗原心愛(くりはらみあ)さんが 1月25日、父親に虐待死させられた事件。幼い心で「恫喝されている」と助けを求めていて 見過ごされてしまった切なさ 過ごした日々 やりきれさがかさなる。

                     

                宮内文子   

                   (2019年2月23日記 より)

 

f:id:m-bunko:20210308234300j:plain

詩誌・モノクローム・2号 (モノクローム・プロジェクト発行・2019/5/6)