みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

「詩は傷口」

 昨日も、いつもの休日と違って時折キリギリスのような泣き方をして

 いたK。離れて暮す娘たちにはすぐにでも届くようなことを言ってあ

 るのに詩集の発送準備は彼女の見えるところではストップ状態。
 そんな状態の中にいるわたしのこころを見透かしてなおキリギリスの
 ような声で鳴き立てるk。分かっているのだ、、無視していいのに

 気を使っているらしい私の気持ちに腹をたてているのだ。かといって

 彼女にしても、そう素直に受けられない意地がある。

 そんな彼女と今日もお休みの一日をどう過ごそうか?と、疲れ思案に暮れ

 ながら本棚の前に立って見るともなく見ていて目にとまった背表紙に書か

 れていた言葉。
 岡島弘子詩集「つゆ玉になる前のことについて」思潮社・・の背表紙と
 言うか帯の背の部分に刻まれていた「詩集は傷口」という言葉だった。
 そう言えば、その詩集の中には、戦争から戻られてのお父様を書かれた
 一偏が浮かんできた。だれにでもあると思う。
 誰にも話したことの無い思いとか感慨、、。たくさん生きてくるとそれは
 より感慨深いものとなってきて どうしても話したくなるとき、いや話し

 ておかなければと思う時がくるのだということ。それを語ることの出来る

 のが詩のような気がする。
 わたしだけが感じたその時の気持ち、、それを明かすには詩はお似合い。
 その人の、心の中から消えることのない痛みはずきずきと痛む傷口似ている。
 未来へ伝えたい一心と言う物語。それはぎりぎりになって語ることができる。

 こと、そう思う。

 「詩集できて良かったね!」笑みながら、、「ありがとうと!」と手にした
 詩集の中に、、よもや我が身の夢の中の出来事など語られていようなどととは

 到底思いもしなかったに違いないKayo。もしかしたら、、天国からも苦情

 が聞えてくるかも知れないとひやひやだけれど、あれもこれも、今、わたしが

 奏でなかったら他には誰も知り得ないで終わってしまう善良な物語。そう思う

 のは、わたしだけなのだろうか? なされなくとも それは極々小さな損失に

 終わるのかも知れないけれど「カバの本籍」出版に向けて、ますますいろいろ

 楽しみは増すばかり。