みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

お盆の思い出

今日から、旧暦のお盆。

子供のころ、お盆には必ず新しい洋服を買ってもらったのを思い出す。
その時期になると、家で商いをしている同級生のお母さんが、大きな
風呂敷包みを背負って、その家の子にふさわしいサイズの洋服などを売
りにきたのだ。その洋服を着て、夕方、小さな提灯を持って、本家のみ
んなと、わいわいがやがや話をしながら、ご先祖さまや新しいお仏様を
お迎えに行くのだ。いつもと違って、薄暗い道は行きかう人人でにぎや
かだった。、それなのに、行き交うたびに「静かなお盆で・・・」とか
・・挨拶を交わしながらの、お墓参りが心の奥からよみがえってくる。
良かったなぁ、あの頃は。と。
帰ると、迎え火を焚いてお仏さまをお迎えするのだ。それから、床の間
を背に、お位牌やそ供え物の並ぶ、新しい真菰のむしろで作った盆だな

にお参りをするのだ。お参りに行く前に、お餅をついて、あんこのお餅

とお雑煮を供えして、お供えのお花は、赤みがかったオレンジ色に熟し

たほうずきが、百日草やアスター、鉄砲ユリなどと一緒に、必ず生けら

れていて、棚の一番手前には、水を張った小さなお皿にミソハギの花が

添えられていた。そんなお盆の風景に、結婚してからは、あまり出会っ

ていないような気がする。家族旅行の思い出はあっても、そんなお盆の

風習を知らないで育った娘たちを、今になって、ちょっぴり不憫に思う。
唯一結婚している長女には、嫁ぎ先のお盆の風習を感じてほしいと、願

っても、二人には、もっと大事なことがあるらしい。心無いものは、敬遠

されても、排除されても仕方がない。何を大切にするのか、したらいいの

か、よかったのか、半ば、強いられてそうするより、過ぎてから 、結果

が出てから、いろいろ思うのもそう悪くはない・・。
 
夕方、実家に、電話をした。
そういえば、わたしは何者なのか名乗らなかった。
受話器を取った甥と会話をしながら、なんとなく戸惑い気味だったような

感じの甥とのやりとり・・。わたしはわたしだと確信して、今、実家にいる

男の人の声の主は甥の声だと、わたしには確信できても、甥には一瞬、声だ

けで判断するには、多少の時間を要して当然だ。

3人のおばさんたちはみな、今も、実家に電話するときは、わたしは私よ、と
自信に満ちて、名乗ったりはしないから、折々、新しい人たちを戸惑わせて
しまうのだ。義姉の声もいつになく軽快に聞こえてきた。

静かなお盆で何よりです。

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