みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

訃報と詩・メッセージ

義姉の突然の訃報を聞いたのは12日の午後だった。
前日のお昼ごろ亡くなったらしいのだが、甥の知ったのは夕方ごろだったという。
一人っ子の甥には母親を亡くしたら、家族は妻と二人になる。同居していたのではないので、散歩の途中転んだのが引き金となり、急に体力も衰えてきたらしい。
退院して、自宅で介護サービスを受けながら暮らし始めたと聞いてほっとしていたのもつかの間、年明けと同時のように介護施設に入り、また入院したと聞いた。それからまた退院と同時に、霞ケ浦の見えるところの医療付き介護施設に移ったと聞いたばかりだった。
 
  メーセージ
    みやうち ふみこ
 
お花ありがとう
とてもうれしかったです。
喜んで下さって
わたしのこころも喜んでおります。
コロナ禍のなか かぞくで
みおくりました
心にしみ入る時間でした。
(お)身内のかたがたが
(お)近くにいらっしゃる(ゆえ)
さびしさは感じずにすごしております。(とのこと)
 おさびしく なりましたね。
 などと 書くものではない。
 うらやましく 思います。
 では、不謹慎ですか?
 リトマス試験紙持っていないわたしには 判定不可能
 フリジアの香りがすきです。
    (2021年1月15日・詩と思想4月号に掲載)
 
 そのご
 ひとり暮らしもだいぶ慣れましたが寂しいです。
 との便り。
 これは、ご主人に先立たれた友人の場合。
 これが、母親を妻と二人で見送ると決めた
 ひとりっ子の場合はどうだろう。
 
 その旨を老いた伯母叔母に伝えることから始まる。
 このコロナ禍致し方ない、と理解を示すが
 刻々とやり場のない気持ちは募り
 3人3樣ゆれるこころは
 姉妹間の論争にまで発展するのである。
 次の日も次の日も。
 当人たちははなれて暮らしても
 ところは田舎ゆえ
 論争は本家やご近所さんにまで及んで
 先に立つ次姉はへきへき
 引退宣にまで
 みな理解はしているのに
 神隠しにでもあっように
 そこに居住していた人がもう戻ることがないと知ったら
 論争でも起こさないことには
 治まらないのである
 何事もなかったように
 コロナ禍のなか かぞくで
 みおくりました
 心にしみ入る時間でした。
 などと言ったら承知しないから
 お母さんも喜んでいたでしょう。などと
 決して言うまい。
 冷たい雨のふりつづいた翌日は
 白銀の世界を夢見ていたけれど
 雪は降らなかった
 テレビに映る上空からの札幌の街は
 美味しそうなケーキが並んでいるみたいだった
 何日ぶりだろう夕月が見えて
 雲があかるんでいた
 あれは君のお母さんの魂だろうか
 手を振っているよ
 今あるのは屍。
 
 
 
 
 
 
 
濱田 浩志