みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

つれづれに

  

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 昨日、一番上の姉から、レンコン・人参・ゴボウ・サツマ芋・ミニ白菜・レモン・紅はるか、たいていのスーパーで手に入る野菜たちが宅急便で届いた。今年誕生日を迎えたら89才になる。いつから会っていないだろ。思い出せないぐらい以前だ。声だけ
聞いていると老いなど感じられないし、相変わらず愛を感じる言葉など語ったことはない。それでも、振り返ってみると急所急所手を打ってくる。

 今も忘れられないのは3女の入院した時のことで、姉がまだ小学校の先生をしていたころのことだ。ずっと付き添っているわたしにTシャツとパンツを2枚づつ届けてくれて、ワンピースとスカート派にとってはすごくありがたく助けられたことがあった。違うけれど今回もまた、その行為がどこか似ている。
  
 二番目の姉に言わせると、あの人はいくつになっても長女であって、いくつになっても責任感を背負っていて、責任感の強い人なのだと断言する。その二番目の姉はと言えば、高卒後上京、叔母の家に居候して、洋裁学校に通い夜は生地屋さんでアルバイトして、東京の洋装店で洋裁師として働いて、何年かのち郷里で結婚した。マイホームで仕立てやさんを開業しても、そのころ東京でしか知らないファッションを田舎でと言っても、お客様は、お金持ちの義伯母さんと仕立て代未払いの妹では成り立つはずもない。そこに娘が生まれたらなおのこと、1才にも満たない幼子が、待ち針を飲み込むという大事件を機にスパッと洋裁師をやめた。たしか、何色のだった?との問いに「お豆のいろ」と言ったそうだが、病院に駆け込んで、便から出てきたのは緑色の玉のついた待ち針だったそうだ。初夏のキヌサヤの収穫できる頃だった。

 その姉が、たった今、森美術館にいってみたいと言ってきた。近くの和菓子屋やさんの包装紙とお店に飾ってある絵の感じがよく似ていて、この包装紙の絵とそ、そこの絵を描いた人、同じですか?と聞いたら、この絵描いたのうちの息子なんですよ。今、六本木の森美術館にあるんです。とおっしゃっていたとのこと。検索して見てみると、森美術館の「コレクション収蔵作家一覧、凡例」の中に、多分、その方と思える名前と作品を見出すことができた。お菓子作りは偽りのない芸術なのだと実感した。

次姉の美に関する感じ方もなかなかだ。と言っておこう。


 ふみこ叔母さん、お花ありがとう、すごくきれい。
花のいろと母の遺影のショールが同じで、コーデネイトしたみたいです。と、お昼過ぎ甥から電話があった。うるうる声だったけれど少しは落ち着いてきたようだ。しばらくは忙しいと言っていたから悲しみに浸っていられるのも今日ぐらいまでだろうか。

  
 昨日は、青い空に細い一本の飛行機雲を見た。

 今日は、朝から曇り空でいて、今は風音と雨音が聞こえてくる。

 外はもう暗い。