みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

洗濯日和・姉からの電話・・・詩「言葉」

快晴。日々の洗濯の他にタオルケット・シーツを洗う。それらを、ベランダの手すりに干している。のだけれどそんな光景は、もう今は、昭和のなごりなのかもしれない。と、ふっと気づいた。けれど、この建物は昭和仕様なのだから仕方がない。

珍しく、上の姉から電話があった。あれこれ話したのだけれど、電話を終えてしばらくしてから考えると、上の姉は、単に私が元気であることを確認するために電話をくれたのか、何かほかに言いたいことがあったのだろうか?とか、想像は無限で果てしない。で、 私が次姉に電話すると言う連鎖が起こる。上の姉は89才。それでもまだ「88才と80才の妹のことが気になるんじゃないの。」と、二人でそんな結論を交わす。最後に、お義姉賛同しているかな、とか、実家の梅が咲いているだろうな、とか、福寿草咲いてるかな、とか、次姉との会話は大概、そんな感じで終わる。

そろそろ、沈丁花も香り始める頃だろうか。・・・もう少し先かもしれない。

    
思い出したので、ここに、3年前、詩誌・モノクローム2号に掲載された詩を記しておこう。「言葉」と言う詩。

 

                       

 

    「言葉」         

                               みやうちふみこ

 

そい言えば、そろそろ沈丁花の香ってくる頃なのだと思った。向日葵もどこにいても出会える花だと思っていた。大輪の菊も朝顔もそうだ。そうではないと教えられたのは 横浜で暮らすようになってから。記憶にある実家の庭には 雨戸をあけるとすぐのところに 梅の木があった。周りには まるく刈り込んだ躑躅や柘植 竹とんぼのような種をつける紅枝垂れ紅葉のそばに 白く咲く沈丁花が いつも青々葉を茂らせていた。実家を離れてからも いくどとなく沈丁花の香りに足を止め 母を思い出したものだ。花や香りで母を思い出すことがめっきり減った。代りに「言葉」がいろいろなことを 思い出させ 想像させてくれるようになった気がする。

 

「2018年南日本文学賞南日本新聞社主催)」候補作品をネットで読んだ。その中の一篇「花筏山之内勉)」と言う詩。そこに紡がれていている「言葉」にふれふっとわたしは20年前自死した兄を思い出していた。詩「花筏山之内勉)」は、人生を仕舞まで生きて、最期に辿り着いた著者の おばあさまの死を 詩っている詩。その詩(うた)にでてくる「言葉」の 中に、わたしは、兄の あの時の顔を重ねてみている「あなた」に気づいたのだ。

 

自死直後に及んでも「電話」があったのだとは、義姉から聞いたこと。「もう、電話にも出られないんです」。そう応え 受話器を置いたのだと。その2週間前「警察にも話してあるから」と兄から聞いた。その時聞いた「言葉」がこの20年の間 わたしを苦しめていたのだ。

 

兄の人生は途中だった。でも、兄の決めた兄の人生の仕舞。仕舞い方だったのではないのか。一夜明けて はじめて会った兄の死顔は 穏やかだった。顔の半分が 包帯で被われていたけれど、その顔は 恫喝から解放された ほっとした表情に見えてくる。 甥には、あの時、そんな父親の顔を、だれかれに会わせたくない思いが 無意識に生まれたのだと思う。駆けつけた従兄弟にも拒否したのだ。あなたに向けても 何度も SOS を発していた。その仕舞方は なんら応えることのない無力からも解放され むろん 周りのことも見極め選んだ 兄の たった一度のわがまま。そんな風に思うのは浅はかだろうか。そう思うことで 今、わたしの気持ちは 穏やかさを感じはじめている。最強の罪と罰は 喜んで受けよう。「テレビに映る 歌っている加山雄三に似ていた」と言ったら おこがまし過ぎるだろうか。

 

千葉県野田市の小学四年生、栗原心愛(くりはらみあ)さんが 1月25日父親に虐待死させられた事件。幼い心で「恫喝されている」と助けを求めていて 見過されてしまった切なさ 過ごした日々 やりきれなさがかさなる。

 

    2019年2月23日記  3月9日推敲

    詩誌 モノクローム 2号掲載 (2019年5月6日発行)言葉」

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