みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

夢・節ちゃんと会った

家の近くと言っても、場所は不明。素足に男物の桐下駄をはいて歩いていたら、節ちゃんに会った。節ちゃんは、じっとしていたら詩が書けないから、タクシーで東京に行くのだと言う。気が付いたら、私もそのタクシーに乗っていた。 窓からの風景は、寒のお参りで10人ぐらいの人たちが歩いていて、途中、寒いので、田んぼの淵で焚火して温まっているのだと話していた。どこか高台にタクシーが止まって、後方の座席に、私だけが乗っていた。あら、どうしたんだろう、とタクシーを降りると、節ちゃんが戻ってきた。同じように、男物の下駄をはいて、私、先にタクシー下りたのよ。ね、立っているでしょう。と、ぴょんぴょん跳ねている。夢では、姿と言葉だけで、節ちゃんの顔は一度も見なかった。でも、、せっちゃんの夢だった。

彼女のことは、いつも心の片隅にあって、電話してみようかとも、時々思いながら、、出来ないでいる。

節ちゃんは、昔、商工会に勤めていた頃の隣町の商工会に勤めていた同僚ともいえる友人。先に、指導員としてお父さんが勤めていて、お父さんが亡くなって、節ちゃんが補助員として勤めるようになったのだった。お父さんとも、事務所にお伺いした時など、親しくお話させていただいてたし、お母さんとも面識はあった。だから、とゆうこともないけれど、彼女とは、一緒に上野から夜行列車に揺られて青森まで行って、青函連絡船で函館へ。道南を旅した思い出がある。今も、鮮やかに心に残っているのは函館山から見た夜景。本当にダイヤをちりばめたよう、といゆうけれど、今でも目に浮かんでくる。他には、洞爺湖だったか、売店の前で、熊と目が合って、怖かった、恐 怖。そんな仲良しでも、お互いに結婚してからは、一度も合っていない。その、節ちゃんと夢でで会えたのは、いつも、どうしているだろう、って思っているからだろうか。

電話してみようかな、、、と、思いながら、また、何年か過ぎるのかもしれない。

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