みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

22回目の、兄の命日

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金魚草

1999年1月30日、63歳(多分)。自死した兄の命日。
今年の今日は、晴天。暖かな冬の1日だった。22年前のあの日は、朝から灰色の宙で、午後になって灰色と茶色の強い風の吹いた寒い日でした。当時兄は某町(今はN市)の助役。就任して半年にもならないで、30年間町職員として過ごしてきた兄は、一人で旅立ちました。
どうして? 分かってもいるようで、分かりません。思い出す度に、今もなぜ? の、思いのまま、それ以前の、思い出の中に出てくる兄と、時々会話しています。
昨夜は、kayoちゃんと二人で、いろんな思い出話をしました。その日の2週間前に、実家に行って、成人式をお祝いしてもらったこと。そう、あれから22年もたっていること。次の日、車でマンションの入り口まで送ってもらって、少し熱気味だったkayを気遣い、そのまま手を振って別れて、それが最後のお別れになってしまったこと。10歳の頃、悪性脳腫瘍術後、治療を終えて退院して初めて迎えた早春、根に黒土を付けたままのまるでまりものようなフキノトウを1つか2つだったか、宅急便で届けてくれたことや、食欲のなかったあなたのためにと、美味しい、お素麺を送ってくれたことなど、思い出話をした。精神的なことは変わってあげられないけれど、経済的なことは心配しなくって良いから。その言葉を、今も思い出して、そう言っていたのに何よ!と、恨み言しか言えない私は、いまだに、しょうもない妹。
私、離婚したの。は、驚かないね。いや、もう心配ないと思って、逝ってしまったのかも知れない・・・。今、ヨコハマに住んでいて、詩を書いているの。と言ったら、なんて言うかしら。返す言葉が見つからなくって、困った時見せる、あの照れたような笑顔が浮かんできます。あの日、少し酔って、寝転んだ格好で、雪見障子から見える、つぼみの膨らんできた梅の枝を指さしんながら、自慢していた表情が、昨日のことのように浮かんできます。
元気でいてください。
今宵は、ベランダからも、お月様がこうこうと輝いて、星も、チカチカたくさん見えます。
 
そうそう、知らないでしょう。
一年前ごろから、コロナといゆう病気が世界中に蔓延しています。日本でも、今、緊急事態宣言が出て、用事のない人は外出を控え、外出するときは、皆マスクをしています。東京都では一日に1000人余りの人が感染したりして、信じられな世の中になっています。

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1月30日、ベランダから見たお月様。