みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

2023年・詩と思想、7月号より

今日は、前の道路の混みあう日らしい。
昨夜から、耐えることなく車の音でにぎわっている。
そんな事情など知らなかったので(道路があるから当たり前のことなのだろうが)はじめてそんな日に遭遇した時には、本当に驚いた。いや、驚いたを通り越して、、道路が、車が、人が昼夜こんなに働いていることをも知った。
 

いつもなら、届いたらすぐに読みふける「 詩と思想 」なのに、引っ越しのかたずけに

のめり込んで、7月号は、はじめの頃の数ページまで読んで、(長谷川さん服部さんのエッセイのすぐ手前で)そのままにしていた。知って、とても悔しく思っています。まだ、部屋の中がすっきり片付かないながらも、今日は少し、ほっとした気持ちで、7月号を開いています。「特集・抒情詩の学び」のなかで、服部剛さんと並んで長谷川

忍さんのエッセイにも出会い、とてもいい日になりました。

そう、今朝、山鳩の鳴くのがここへもとても鮮明に聞こえたのです。

こんな日は、きっと、なにかいいことがある。思い当たることも皆目なのに、ひそかにそんなことを思っておりました。

それが的中・・・。

 

 「長谷川忍さんは、のちのちのおもひに_______立原道造を辿る」というタイトルで、そして、服部剛さんは『詩は「音の無い声」』というタイトルで書かれていたのですが、お二人が、同じ「立原道夫」・を引用していらっしゃることにも、とても感銘を受けました。お二人には、まだ、お会いしたこともなく、いや、お話したことのない詩人さんなのですが、わたしの中では、勝手に、存じ上げている詩人さんと位置づけて、いつも失礼なほど親近感を抱いて接しさせていることに、あらためて気づかされました。

 お二人のお書きになっていらっしゃることを読んで、到底私など詩を書く資格などない、と、心引き締まる思いです。お二人には、いつかお会いして、お話しできたらと思っていただけに、なにかとても不思議な気がいたします。

「ふるさとは遠きにありて思うもの」まさにこの詩は今の私の心境そのものです。

そして、お二人が、それぞれに、近年お亡くなりになった詩人さんの詩を取り上げていらっしゃることからも お二人の共通点を知ることができました。服部剛さんの書いていた、詩人・杉山平一が2011年・97年の生涯を終える約半年前に刊行されたという、最後の詩集「希望」の表題作は、ふるえる思いで読ませていただきました。それは、まさに、私に向けて語りかけてくださっているように聞こえたからです。

 我慢の足りないわたしなのだとあらためて思いながら、これもしかたがないことだと自己弁護。拙いながらも、、命ある限りこれからも詩を書いて生きたいと強く思いました。どうぞよろしくお願いいたします。

 

ここに、詩人・杉山平一の詩「希望」を記させていただきます。

 不幸や悲しみの/事件は//列車や電車の/トンネルのように/とつぜん不意に/自分たちを/闇のなかに放り込んでしまうが/我慢していればいいのだ/一点/銀貨のような光が/

みるみるぐんぐん/拡がって迎えにくる筈だ//負けるな

2023年詩と思想7月号