みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

もしも魔法が使えたら

kqyoの赤ちゃんの頃の夢をみた。
彼女が小学一年生の時の受け持ちの先生におんぶされているおかしな光景。受け持ちの先生は年配の男の先生だった。教頭先生よりも校長先生よりも偉そうな先生。退職後、風の便りで聞いたお話。「小児がんの生徒を守ってあげられなかったので市議選への立候補はやめたのだと」。そのころ、多くの父兄が我が子の受け持ちにと願っていた先生。あの頃は教師にその意思があっても小児がん体験児童をサポートしようとするには、教育委員会は無論周囲の厳しい眼があった。それまで何事もなかった近隣の付き合いさえ偏見が偏見を呼ぶ。「死んでいく子よりこれからの子の方が大事だという生の父兄の声も聞こえてきた。明日に面会を申し込むと、明日、先生は「胃が痛いのでお休み」。そのたびに理解を示してくださる先生を苦しめるようでわたしの心は痛んだ。転校先の中学でも、理解ある先生に恵まれながら先生を苦しめた。修学旅行不参加だったからと「白い恋人」を届けてくださった先生。関わる先生全てに恵まれていると感じていたのに、それだけではどうにもならなかった時代だったのだとは、、自己弁解にあたいしないか。

小児がんはあのころ珍しい病気と言うより回復することがまれだったのだ。と今思う。

本人の意思に添って無理して学校に行かせる道を選ばなかったことで今があるのだと

、、ずっと思い続けていたのは、、果たして親として正しかったのかと問うことたびたび。代償として何が出来るか。。課題は果たされていない。

もしも、魔法が使えたら、、あの頃に戻りたい。