みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

詩の国ベトナム

詩と思想7月号」に出ている「手を結ぶ世界の詩人たち」の記事に惹かれて今日も眼をしょぼしょぼにして文字を追った。2年余りの闘病の末先月甥Kが亡くなった。肺癌と言う病気が見つかるまでの2年ぐらいを彼は某支店長としてベトナムで暮らしていた。そのベトナムと言う国が詩の国とははじめて知った。甥としの話しはしたけれど詩の話はしただろうか。あぁ自慢げに「詩を書いているの」。と話したことはあるあるある。

思いがけず、幸いにベトナムの詩人達の話しも聞けたし、アインゴック詩抄にも出合えた。もっと早くに出合えていたらと残念にも思う。それらの詩一つ一つがなつかしくどこかで出合った光景のようにも思えるのはどうしてだろう。「私の胸の上で眠る猫」には、心臓がドッキリ言った。

ベトナム赴任前はカンボジアに駐在していた。そこで出会ったクロ(猫)は、ベトナムでも一緒にいて、とおく日本にまでついてきてくれて、、看取りまでしてくれたクロ。入院中はスリッパにうずくまり、自宅療養中は、この詩の光景のごとく、彼の体を温めたりそばでずっと過ごしていたと見聞きする。間もなく、、、あとを追うように昇天したと聞いたのは10日も過ぎた頃だった。お見舞いに行くたびに彼の言っていた言葉を思い出す。「いそがしい時間をさいて見舞いに来てもらうのは心苦しい。忙しい人達にはその時間を自分の時間に使って欲しいのだ」。と。「だからそんな人にはそのままにしておいて」。と良く言っていたけれど、どうしてそんなにオープンじゃないのよ。。そんな意地悪な眼で見たこともあるけれど、「限られた時間は皆同じなのだから」。と言いたかったのだと。ベトナムの人、詩人さん達の気持ちに触れて、彼の真意にはじめて気づかされた。

「件名・職場復帰」と「件名・グッドラック」のメールが前後して届いたのは書いた

日付の一週間から10日余り過ぎた頃だった。

その頃から、わたしの眼は見えにくくなっていたみたい。件名に書かれていた「グッドラック」の文字が小さく、気がついたのはそれから数日過ぎてからだった。

もっと話しておけば良かった。いろんなこと聞いとけば良かった。いつか彼の暮らした詩の国、ベトナムに行ってみたくなった。