あの日から72年。(と、新聞でも、テレビでも報じている)朝早くに近くでセミの鳴くのが大きく聞こえた。あの日も、なんかそんな朝だったのでは、と、ふっと思う。それはわたしの3才の夏の事だったのだけれど原爆に関しての記憶は皆目だ。ただ2003年8月6日の母の介護メモにも記されている、あの日の母の言葉を、わたしは今年も、あの日 あのとき感じた強い衝撃のまま、思い出している。(下記はその日のメモから、、。)
2003年8月6日。
AM8.00広島の原爆のニュースを見ながら
母は「あの犠牲のおかげで今の幸せがあるんだよ」と居間から見渡せる庭の木々、連なる山々を眺めながら「この平和な色」といった。「テレビはもういい」と言うのでスイッチをきる。
このとき母(92才)は入院中だった。ちょうど前日から2泊の外泊許可がでてこの日の朝は家で過ごしていた。たまたまその頃一週間ぐらいわたしも母のそばにいた。
そばにいたから拾えた母の言葉のかけら。
同じ風景の中にいてもわたしにはとうてい思いも及ばないことば。