みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

わたしのなまえ

 

 岡島弘子さんの詩集「洋裁の恋」に出てくる
 「名前」の中で、著者は
 
 *私の名付け親は叔父 
 *そのいのちを私の名前にこめて遺し
 *南の島で戦死した
     と したため
 *叔父のかたみの名前をひるがえし ひるがえし 私は
 *けんめいに天をめざしている
  と結んでいる。

 (*の部分は岡島弘子詩集「洋裁の恋」「名前」から引かせていただきました。)
 
 途端に、わたしは
 わたしに名前をつけてくれたのは
 誰なのか知りたくなった
 父なのか母なのか祖母なのか
 

 その当時、小学校に入学すると 
 新学期が始まると間もなく
 ツベルクリン反応検査を受けた
 わたしはそのたびにその部分が
 赤く腫れ水疱が出来たりした

 右手の腕内側には水疱のあとが
 まだかすかに残る
 
 それを見ながら母は
 「文子ちゃんは、お父さんと一緒に井の頭公園
  ボートに乗ったりしたとき いつもキャラメルを
  口移しにしてもらっていたからね。」
  と、話してくれたことがあった。

 父が結核で死んだのは4才の時。
 といっても、父のことは覚えていない。
 東京にいたときは警察病院に入院していたと
 聞いている。空襲で永福町の家が焼けてしまって
 からは、茨城の元の家に戻ったのだと聞いているけれど
 多分、父のそばには近寄らないようにされていたのだと思う。
 
 正直、誰からもわたしの名前の由来を聞いたことがない
 知りたいと思っても今さら二人の姉に聞く心境になれない
 なので想像してみることにした
 すると 絶対に父のような気がするのだ
 
 父は水泳や走ることが得意だったらしいと
 一番上の姉から聞いたことがある
 姉は、勤務校の父と仲良しだったという
 校長先生から聞いたらしい話

 母は学ぶことが好きだったらしい
 「女学校へ行きたかったのに行かせてもらえなかったの」
 と母から聞いたことがある。
 父はそんな母を愛していたのだとわたしには分る
 母からも 父の悪戯を聞いたことはなかったから

 だからと言って、「文子」と言う名前が
 父からの贈り物という確証はない
 ないのだけれど、「文」という字は
 父が母をイメージした文字ではないか
 そんな確信が湧いてきて わたしの心に
 今、そんな思いがすとんと 居すわった感じ

 小学生のころ、礼文島のお友達へ、、と題した
 手紙を、朝礼の時間 皆の前で読んだことがあった
 高校生の頃の文集にも掲載されたことがあった。
 多分「キャット」というタイトルで・・・。
 
 このことは、誰にも話していないけれど
 あとで、兄だけがしっていることを知った。