それは成長するために必要なこと。
それは全てに言えること。
そう気がついたと言うより実感したと言った方が良いのかも知れない。
パソコンの中あちこちに散らばっていた詩を拾い集め
ひとまずの詩集原稿を整えレターパックの封をし、
勝手に詩の師匠・にとお願いした(モノクローム・プロジェクト
ブックレッツ代表でもある)一色真理先生宛宛名を書いた。
そこまでするのに今の私には結構勇気もいる。
だれかれの詩集詩集を読んでいると、、わたしも詩集出版しようかな~
するぞ~と意気込むものの、、だんだん自信が失せてくるのだ。
今回はそれに拍車がかかったからなお・・。
その行程ももう少しと言うとき届いた詩集の中の1冊「デラ・ロッピア・
ブルーの屋根」の著者M女史の名前にドキッとしたのだ。
それは昨年の「詩と思想」に掲載されていた彼女の書いた「詩誌評」を
読んだ時の記憶がよみがえったから・・・。お会いしたこともなくどんな
作品を書いていらっしゃるのかも届いた詩集を読ませていただくまでは知
らなかったから、なおのことだったのだけれど そんなことは往々にして
痛いところを突かれた時に起きる感情とも分かっていてのことなのだから
どうしようもない。
たとえば、特に「詩と思想2016年8月号」の彼女の書いた詩誌評の一部を
載せさせていただくと「・・・最近の詩誌に掲載された詩を読んでいると
散文を行わけしただけの作品が多いと感じる・言葉と言葉の・行と行との
間に作品の余白が感じられない。余白を埋めたければぜひ・・・・もっと
・・・勉強研究をして欲しい」あとに(わたし自身への自戒もこめまして)
とあるから、、ほっとはするものの・・ぶすっと心臓を刃物で突き刺され
た様な気もした。もっと経験豊富な方?そんな先入観を持っていたからとも
思う。もっと経験豊富な方はそんなことはおっしゃらないとの確信も得た。
たとえば浜枝順子さんのように。
「デラ・ロッピア・ブルの屋根」を読んで彼女に対しての偏見は消えたけれど
、、ハートに毒を持とうが、己の感受性を信じようが、したたかになろううが
・・「その心根は素直なきれいな状態で詩は書いて行きたいものだ」とも仰せ
なのだけれど、果たして
「あなたはそうでしたか?大丈夫ですか? と自問自答してみながらいると
ますます自信なんて生まれない。
「デラ・ロッピア・ブルー野屋根」を読んでいてそこかしこに詩を書く著者の
忠実な姿勢思いが見えて・・脱帽である。タチアオイの表紙を見たときも
ドッキリ・・え・・わたしの写真?ともおもったから。