みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

ざわざわざわ

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  冷たい雨の降る中ベランダから見つけたさくらの開花
まだ一輪二輪だけれどさくらさくら咲く季節の到来。
見つめながら・・もっとそのままでいて欲しいと
思ったりする今年はいつもと少し違う心境・・どうしてだろう。
さくらは4月の花・・3月は待つ季節・・そんな勝手イメージが
体内でくすぶっているのか。心のどこかが詰まっているような感じ
がして仕方が無い。
昨日(3月19日 )新聞で目にした谷川俊太郎の詩のせいか。
それとも編集委員さんのつぶやいた言葉のせいなのか。
彼女の「私は今でも忘れてはいない・・。」と言う叫びにも似た 

そんなときの怒り、悔しさが・・痛いほど分かっちゃう・・
分かるからなおのこと わたしも・・そんな時の怒りを忘れなくって
もいいんだと思ったとたん わたしの中の そんなことへの怒りの火種
が着火勢いよく火を噴き燃えた燃えた昨日今日だったような気がする。
    
何を言っているのか言いたいのか分からないことを言ってるみたいだけ
れど 現役の記者の方だって・・怒りを忘れられないこともあるのだから、
普通人の私だって、「痛い」と感じたら その怒りを忘れることが出来な
いほど悔しく思っても普通なのだと、というか そんな私を自身で責める

ことないんだと・・安堵して・・安堵すると今までとは違って・・
怒りを正当化することで、反対に気持ちがだんだん和ぎはじめてくるか
らおかしくなる。でもまだざわざわざわ・・詩片はかくれんぼばかり。
    

   以下は朝日新聞

   「政治断簡~編集委員 高橋純子 怒るべき時 それは今」より

    谷川俊太郎「朝日とともに」より抜粋

    新聞はもう一つの眼/ 欲望のせめぎ合う巷にかくされた/かずかずの人間の
    劇を/ときに笑いときに怒りときに涙し/それは見つめる

    新聞はもう一つの口/正義に名をかりた大声のかげの/しいたげられた者の沈黙       

    を/無名のいのちの証言として/それは語る