みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

母の日のプレゼント

机の上の一輪の赤いカーネーションはkayoからの母の日のプレゼント。
今年の母の日は、午後になって雨、夕方頃からは雨脚も強くなってき

た。その雨の中を花やさんに立ち寄り・「きれいそうなのを選んだの」

・と手渡してくれた一輪・・その色の深さに見とれている。
いろいろ悩みもあるらしい。
あの頃のように、今は帰宅早々その胸の内を話すことはない。
安堵していたけれど、そうではないのだと昨夜知った。
一人で悩んでいたのだ。ときどき私に当たっていたのはそんなとき
だったのだろう。今朝になって、、その詳細を話してくれた。
半分しか聞えない耳と、半分でないと一つに見えない目と、忘れ易い
脳細胞とで毎日していることでも毎日間違える。のだと。
それが分かっているからわたしが悪いのだと,日々の罵声にも耐えてい

るのか 仕方が無いと聞き流しているのか。疲れる疲れると言うその

わけはそこにあったのだとやっと分かった。年下の同性の同僚は甘く

はない。「守ってあげられなくってごめんね」と言うと「誰を?」と

聞かれた。
やっと分かった。
悪性脳腫瘍の手術跡が後部首筋真ん中から 小脳の位置にかけてまだ

はっきり残る。術後29年、30年近くなっても髪の毛の生え方は戻

らない。その術後のあとが隠れるようにと、ずっと髪を切るのは私の

役目だった。
それが、、2週間ぐらい経つだろか、朝起きると髪の形が変っていた。
夕べ、鏡を見ながら1時間、、もっとかけて自分で切ったのだという。
それは、驚くほど上等のできばえ。後ろも見せて、と言いたら、後ろ

を向いた。「あら、、傷跡見えるよ」と思わず言ってしまったのだけ

れど「これでいいの」とそのときのはっきりとし言いように、うろた

えたのを覚えている。小脳に出来たガンをとって、治療と転移を防ぐ

ためも含めて、脊髄と頭部のそこかしこに大量の照射療法をうけたの

だ。正常であるのが不思議である。本人は、だから、それでも直って

働けるのだと思っていても、正常には直ってはいない部分があちこち

にあって、それは仕方が無いことなのだと、、自身では理解していても

、、立場を代えると、、そんなこと言い分けでしかないのだから、、仕

事上スムースに行かないことがあったらいらいらを言葉で表現してしまう、、のだろうと思う。そんなとき彼女の心穏やかではないことは想像

できる。「もう何も言わない」と罵声を発しても,繰り返されるのだと言

うその行為・・彼女もまた悩んでいるのでは無いかしらと ふっと思う。
本人も、やっとこれからのことを真剣に考える時期にきていることに
気づきはじめたようだ。

私が写真をはじめたのも・・いつまでも働いてはいけないだろう、、
その時、どんな形にせよ彼女の何らかの役に立ったらとの思いが常に
心の底にあった。詩集の出版も、、同じだ。
今日は、昨日届いた葉山美玖さんの「あおいねこ」を一緒に読んだ。