みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

お蚕

島弘子さんの詩集「洋裁師の恋」に出てくる
「絹糸となるところまで」を読んでいて、思い

出したのがお蚕。お蚕の桑の葉を食む音がなつ

かしく聞えてくる。
シュワァシュワァシュワァシュワァ多分こんな音

だったような記憶。記憶をたどると最初の記憶は

母の実家で、義伯母がキートントンキートントン

(多分そんなリズム)と、お蚕の作ったまゆから

糸を紡ぎ紡いだ糸で布を織っていた姿。その頃、

畑は桑畑とたばこの葉の畑が目についた記憶。母

の実家ではお蚕を育ててまゆを紡いで義伯母が布

に織ったりもしていたのだ。お義伯母は わたし

の結婚が決まったときは、すでに そのつもりで

織り上げ 染物屋さんで裳服用に染めあげておい

た、その反物をお祝いとして届けてくれた。
その喪服、何度か着たけれど、身幅が狭くなったり

(?)今は洋装の喪服を着ることが多くなったのを

機会に、解きはじめて3年ぐらい経つ。ロングスカー

トに変身出来たらと思ってのことなのだけれど、傷

めないように一針一針解くのも根気がいる。なので、

まだ半ばのままなのだけれど、それは確かに、もう

50年ぐらいも前。 いやもっと前に、義伯母が

お蚕を育て、お蚕の口からはいた糸で作った繭を紡

いだ絹の糸、その糸を、義伯母がわたしにためにと 

キートントンキートントンと紡いでくれたのだ。
ちょと手触りがなめらかじゃないけれど、、それは

それで 今は貴重な味わいを持つ布とも言えるので

はないだろうか。大事にしよう。

もう一つの記憶は そんな環境もあったからだろうか、

我が家でも 一時母がお蚕を飼っていたことがあったと

いう忘れそうな記憶。坂の下の畑が 桑畑だったことも 

うっすら蘇る。

お蚕さんを飼う部屋は、その期間、母の実家では普段余

り使うことのない部屋を締め切って行われていたからか、

忙しそうに桑を摘む大人達の姿しか思い出せない。だけれ

ど、お蚕さんが葉を食む音だけは、、今でも耳を澄ますと

聞えてくるのだ。それは我が家での記憶だったのだろうか。

母の留守に、とも子さんが、お蚕さんに桑の葉をあげるこ

とが、ときどきあった。そんなとき一寸だけそばに行っり

したから。虫の大嫌いなとも子さんは、もちろんお蚕さん

も苦手だったのだろう、悲鳴に近い声を出しながら、摘ん

できた桑の葉をあげていた。頭のあたりは なんとなく芋

虫(?)に似ていて、白っぽい灰色の様な色で5~6㎝の

身体に足が何本も生えていたような気がする。

その「蚕」と言う名の虫が 桑の葉を食べて成長して、口か

ら糸を吐き体中をその糸で覆い繭を作り 「蚕」はさなぎに

なるのだ。その繭が長い長い一本の絹の糸になる。

その自然の摂理を、美しく眩く思う。