カメラを手に過去を切り捨て未来を切り取る。
写真なら可能なことも、人生はそうままにはならない。
猫一匹と末娘と古いカメラと、わたしは家庭をあとに
した。失うものなど惜しくは無かった。
「×1」の名を取得するまえの静けさは、夏から立秋
そして秋から冬に移ろう気配に似ていた様な気がする。
嵐の前後の凪いだ海は、どこまでもどこまでも凪いで
穏やかだ。ここはいつも穏やかな海だと皆が口を揃え
て、ちやほやした。
大波にさらわれる気配の怖さを知らない人は、その怖
さも分らない。熊本行の搭乗券をキャンセルして横浜
の友人を頼った。
無責任な言葉!つめたいのね!それでも友だち!
それでも姉妹!それでも母娘なの!などとは言わない。
支えてくれたのは、猫一匹とその母親。
友人は、「ここからは一人よ。どこまでいけるか見て
いるから」と言った。バナナが5本ぐらい100円で買え
るお店を教えてくれた。頼りにしていた人は スキャ
ンダルを望んでいるのを知った。わたしは応じられな
かった。本当の理由ではなかったから。その時、男は
バカな生き物だと思ったけれど 憎めなかった。
おう吐と下痢を繰り返し繰り返し、しわたしは、×1に
なりました。それから、わたしは一人で写真を撮り続け
た。結構 これがわたしの写真だと好きだった。得意に
なって、送ったり無断掲載などして「法に触れる行為」
と、善き友に意見され、人を撮ることが怖くなっり だ
んだんだんだんカメラから遠ざかり、今は、未来を見つ
め 売れない好きな詩を書いています。
大阪万博の年でした。「いつ戻ってきても良いよ!」と
そう言ってくれた人達は、それぞれ早々と天国へと旅だ
ちました。もしかして わたしの決断が遅すぎたのでし
ょうか?