みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

東日本大震災後12年

今ごろ、あの年も拳が満開だった

昨日もkayoの休日だったのに、地震に、朝早く起こされた。

と言っても、その前から、上半身左側にどんどんどんと震動を感じ、左腕、肘から指先までがしびれるような感じがして何度も目をさましていた。夢だったのだろうか?

 
昨日は、東日本大震災の起きた日から12年(2011年3月11日))。発災時刻、午後2時46分。
 
あの当時は、北八朔に住んでいて、ちょうどkayoと一緒に中山郵便局に出かけた途中、JR横浜線踏切の50メートル手前辺りで、地面がぐらぐらっとゆれはじめ電線が大きく

ブラーンブラーン揺れて、あちこちの建物から人が出てきて、その異様さに大変を感じたのを記憶している。おさまるのを待ってやっと郵便局に辿り着いたら、システム障害の為・・いつ直るか分からないとのこと。仕方なく帰路についたのだったが、気持ちが悪いというkayoを休ませようとするとことも、すべて停電で営業はお休みとの張り紙に、ゆっくりゆっくり歩いて帰ってきたのだった。そして、テレビをつけて、その大事を知ったのだった。

 

その頃は、大家さんの2階に住んでいた。随分ゆれたろうと思う。

足音で玄関まで跳び出してきてカギを開けるのも待てないようにニャーニャー鳴いていたミルフイーはびしょぬれだった。花瓶が部屋に転がって周囲も水浸し、本棚の本が飛び出していた。大家さんが、怖かったでしょう、と声をかけてくれた。きっと、その部屋にいたら、もう そこに住むのは怖いと思ったかもしれない。

 

その年の1月、四谷のルーニーで写真展をした時だった。寺山修司記念館の「家出のするめ」とその頃はまだ季刊誌だった「ココア共和国」を、お土産に、あきは書館の秋亜綺羅さんが 本当に写真展を見に来てくださって、2か月ぐらい後だったろうか。本当に、といゆうのは、そのころ書いていたブログで、たまたま出会って、写真展見に来てくださることになってはいたのだったが、仙台から、無名の写真家の写真展見に来てくださるなんて、本当だろうか? 正直、私は、そんな思いの中にいたのだった。

被災から数日後、反対に、安否を気遣ってくださるメールが秋さんから届いた。メールには、その日、従業員を車で送った時、街は真っ暗で、空の星だけがとても輝いていたと、その異様さを伝えてきてくれたのだった。あれからもう12年も経ったのだ。

 

あれから2度引っ越して、、今、また転居を考えている。理由は二つ。一方が解決しても、もう一方のkayoの通勤時間を今のままにはできない。時間をかけても真剣に考えなければならない。昨日と今日と、なんとなくkayoの様子がいつもと違って、私もなんか感化されてしまった感じの二日間だったけれど、、もしかしたらそんなことも 無意識にせよ要因になっていたのかもしれない。

 

今朝は、耳鼻科に行って、また検査をしてもらうこと。を二人で確認し合い、
その時は、一人で行くよ!と 元気そうな顔を見せ 出勤して行った。 

今も、とーくで、どんどんどんどんなっている。気のせいなのだろうか?

これからの事など、いろいろな課題が 時折、二人の気持ちをふさいだりするここ頃。

一つずつクリアしつつ 半年一年かけても これからの道しるべを見つけよう。

お題「10万円」