みやうちふみこのブログ

日々の思い こぼれないように 

 4月13日(2023年)

 4月13日、今日は 3女のお誕生日!

あ、私のお誕生日がきていた・・・!

今朝、本人がそうおっしゃっていたので間違いはない。 忘れていたわけでもないのだけれどぼ~っとしていたのかもしれない。振り返れば、お誕生日の日は 毎年、朝起きて顔を合わせて一番に「お誕生日おめでとう」ってわたしの方から言っていたのは確かな記憶。その習慣が、今朝はどこかへ行ってしまっていたらしい。ただ どこかへ行ってしまっていただけなので、慌てず、おめでとう!と言った。

まだ 昨日の疲れがそのまま残っているらしい体。昨日から注意報が出ていた大陸からの黄砂飛来。よどんだ空を見上げながら 10時過ぎ洗濯物をベランダに干した。

  

昨日は午前中かかりつけの病院へ2か月毎の診察とお薬貰いに。

どこの病院でもなのだろうか、保健証がマイナンバーカードで対応できる(する)ようになっていた。ではでは、と、マイナンバーカードを指定の所にセットした筈が、本人確認が出来ないとのサイン。見れば、古い古い某ホテルの会員証だった。あら、もうイヤ、とひとり言をつぶやいていたら、そばにいた人が「なんか違うと思っ見ていたのよ、間違いは誰にもある!」とひとり言のようにも慰めのようにも聞こえる言葉をかけてくれた。

良いのか悪いのか、これで保険証は必要なくなったわけだけれど、これは患者の為のものではないように思う。近くで誰かが、「幾らか安くなるの?」「少しは・・」受付の方との会話が聞こえてきた。

今まではしなかった、備え付けの血圧測定器で血圧を測った。病院へ行く日は、いつも160とか170とかの値になる。なので、これからは 病院で計ることにしたのだ。案の定150と?の数字が印刷されて出てきた。それを看護師さんに渡すことで、あれこれ言い訳をしないでもすむ。

その時、心電図をとってほしい旨を伝えた。今思えば、それは 主治医の判断を下すことで患者が先に要求することではなかったのかもしれない。

でも、私がどんなに普通とは思えない、異常を話しても・・ 真に受け止めてくださっているとは思えない応対に、前の診察日時には「先生に話してもは分からないのよ。」とくり返し言ってしまったので、みずから申し出て安心したかったのだが、先生曰く、

「こんなもので、正しいデーターはとれない、何にもならない。病気探ししますか?」

と、問われるとひるんでしまう。「40代での発症したそれは、治ることはない。年を重ねてくると再発する、、そこから脳梗塞とか併発しやすいものあるのだけれど・・・」

要するに、今の元気を今の治療法で維持できるだけして、そのあとは、運を天に任せる、、先生は、そんな私の気持ちをわかって下さっているから、私の我儘にも、応えて

くださるのだと思う。「それらは加齢の為でもある」とは、一向に理解していない私なのだ。そうなんだ、とは納得はするのだけれど、なかなか、気持ちが付いていかないのである。先生は、その辺のことに気が付いていて、いろいろおっしゃるのだと思う。おかしな話だけれど 先生には分からない。と言いながら、私は、先生を信頼しているのだと思う。あれこれ言って、落ち着いた投薬の選択。処方していただいた2か月分の薬を薬屋さんで受け取り、ぶらぶら スーパーへ。

お目当ての焼き芋とリンゴとイチゴと最近また時々飲むようになったコーヒーの粉と

他にセローリーとトマトと何んだったか、重いと感じない程度のもの。    リンゴも

1個しか買わなかった。お昼は、焼き芋と昨日の残りのたけのこご飯。そのあと

3時ごろまで眠って、トイレに起きたあと、夕飯の下ごしらえをして、また、眠っていた。気が付くと時計の針はごご6時を過ぎていた。こんな日に限って、早く帰ってくるかも。そう思ってもなかなか起き上がれない。6時45分すぎ、もう限界、急いで起きて炊飯器にスイッチを入れると同時位に玄関ドアの開く音がした。予感は的中・・・。

それでも、下準備をしておいたので、肉じゃがと酢の物とオクラをトッピングした山芋月見&油揚げとねぎの味噌汁。一緒の食事はにぎやかだ。と言っても、何話したんだっけ? 後かたずけはお任せして、入浴後又ねむった。一度、振動で目を覚まし、また、と思ったのは覚えているけど朝まで熟睡。生ごみをそのままにしてしまった夢を見た。生ごみを出す日は明日金曜日、良かった。

くすんだ色してきた台布きんが真っ白になっていた。
この数日、よく眠れる。今日も静かだ。

敬遠していた筈の飛行機の飛ぶ音も、今日は、優しく聞こえてくる。

 

潮来の姉から、「かよちゃん、お誕生日おめでとう」の電話があった。
なぜか、いつも本人にでは無くて、私にある。
ずっとお茶を断っていたと聞いた記憶も忘れそうだ。